Peaceful Tree

主に加藤和樹さんを中心とした観劇やライブ参戦の記録やまとめ。考察や妄想もあるのでご注意ください。

「フランケンシュタイン」は誰の物語か。

先日フォロワーさんと話していてわかったこと。この作品、おそらく「ビクターとアンリの物語」として観ている人が多いと思うんだけど、私は「ビクターの物語」として見てるんだなと。 (主にかきかずで考えてます)

もちろん観劇スタイルとしてはアンリ/怪物をガン見なんだけども(笑)、「物語」の捉え方として、という話ね。

一度すごく頑張って「アンリ視点」で観ようとしたことがあるんだけど、気づくとビクター視点になっててちょっと悔しかったので、DVDが出たら再トライする。(あと数回の観劇でのリベンジは諦めたw)

***

アンリに重すぎる想いと夢を託されたまま置いていかれて、追い詰められてやるしかなくて、力と気力を振り絞るビクター。それが唯一の友、アンリの望んだ道。でもその友の首を使った実験が失敗したことで心が折れてしまった上に、生まれた怪物に恨まれ全てを奪われ絶望し、死ぬ(もしくは相討ち)覚悟でやってきた北極。ビクターにどれくらいの殺意があったのかなかったのかはわからないけど、結果的にその怪物を自分で撃ち殺す。柿ビクターは怪物の中にアンリはいない(完全に失敗した)と思っていたと思うんだけど、最後に少しだけアンリの影が見えたことでさらに絶望して、叫んで終焉を迎える。ビクターを悲劇へと連れていく役割のアンリと怪物。だから再演のアンリと怪物が好きだし、かきかずが好き。

アンリと出会ってからのビクターの傍らには常にアンリが寄り添っていて、処刑後に怪物が生まれてからも、ビクターの心の中には常に怪物(と、アンリ)の存在がある。この存在の大きさゆえに、ビクターは研究を続けることができなかったのかもしれないし、結果的にビクターを悲劇に向かわせたんだなと…

***

怪物が生まれた時、鉄のベッドに乗ってアンリに差し伸べた手を、怪物が無視して床に転がった瞬間の柿ビクターの表情が大好きで。「こいつはアンリじゃない。俺は何かいけないものを生み出してしまった」という表情。実験は失敗したのだとわかってしまった、絶望の表情。その後の、生み出した生命を自ら葬らなければと鎖を怪物の首にかける時の表情も、研究者の苦渋のようでとても好き。世の中の常識なんて関係ないビクターだけど、研究者としての倫理はある、みたいな…(伝われ)

***

【おまけ。ラストシーンのその後の妄想】

アンリの頭を抱いたままビクターが息絶えた頃、怪物が身じろぎ、目を覚ました。自分を抱きしめる身体が冷たくなっていることに気づき、立ち上がってビクターの亡骸を見下ろす怪物。その表情はほんの少しだけ寂しそうで。生きる意味を本当の意味で失った怪物は、しばらくそうした後、踵を返し振り向かずにどこかへと去っていった…

※「傷」のシーンが全て終わった後というパターン。回によって、怪物が完全に死んでる時もあるから、これは私の願望ってことで。 (こんな絶望エンドが願望な私も大概だけども←)