Peaceful Tree

主に加藤和樹さんを中心とした観劇やライブ参戦の記録やまとめ。考察や妄想もあるのでご注意ください。

東京楽〜名古屋までの間の感想と考察など。

東京公演が終わって、名古屋公演までの間に考えたことやツイートなど。ツイートにさらに足したものとか、要は自分用の備忘録。いろんな説が入り乱れてます。

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・「傷」のシーンが、全てが終わった後の時間軸じゃないかというどなたかのツイートを見て、初演観た後に(まだ和友さんもいなかった頃なので)ひとりで反芻しながら同じことを思ってたなぁと思い出した。怪物/アンリも融合して本人すらどちらなのかわからないまま孤独だけを抱えて生きていく存在…北極のシーンでアンリの想いを知らないままビクターへの復讐を終わらせた怪物が、「俺の中のこいつはこんなことを思っていたのか…」と回顧する感じ。 再演ではそのツイートを見るまで忘れてたくらいだから、初演とは受け取るものが違ったんだなと…怪物は北極で満足して絶命したと思うし。でもこの解釈も私の中ではアリ。フランケンはとにかく解釈がひとつに定まらないので混乱するけどとても楽しいw

※このツイート以後、このシーンが全て終わったあと説が私の中でかなり大きくなりつつあります…

・怪物が「どう恋をし…」って歌う歌詞に違和感があったんだけど、アンリのビクターへの想い(これがほんとの恋なのか比喩表現としての恋なのかはともかく)の記憶を、怪物は「恋」と捉えたのかなぁと…どう恋をし、どう死ぬか。あのシーンの怪物、北極のシーンの怪物よりさらに知性が進んで情緒も落ち着いている気がする。佇まいも含めて哲学者みたいに見えなくもない。

・「“人間に”絶望」しているアンリ。前後の文脈から、絶望したのは軍に入って論文を書いてからだと思うけど、いったい何があったの…?そしてそのアンリが驚くほどのビクターの日記の記述とは?答えのわからないフランケンの謎←まだまだ増える

・「せっかく解放してやったのに」 自分を理解してくれるのはアンリしかいないとわかっているのに、既に友人としての関係も築けているはずなのに、出会いがアレだったからなのか、「自分がアンリを捉えている」という想いが拭えないビクター。アンリは「僕は望んでここにいるんだけど?」と軽く腕を広げて笑いそうだけども。 酒場のシーン、「脳が燃えてしまった」と落ち込んで走り去るビクターをアンリが追っかけた後だから続きのシーンに見えるけど、その前に「せっかく解放してやったのに」の痴話喧嘩(笑)のシーンがあるはずだよね。数日空いているのか、追いついたアンリとビクターでその場で言い合いになったのかはわからないけど。そのシーンが観たい。誰か詳細を語ってはもらえませんか…

・怪物の記憶の話。 「傷」の前の「友達」の言葉きっかけで、それまで怪物の中では事実としての認識しかなかったビクターとの記憶が、アンリの「想い」として一気に蘇ってきて、怪物がそれを持て余しながら歌っているように見えた回があった。でも記憶が戻ったからと言って、丸ごとアンリ自身が蘇って怪物の身体をのっとるとは思えない。あくまでも、怪物の中にアンリの記憶が追加される。その記憶をどう思うかどう扱うかは怪物が決める。結果として 怪物は、アンリの記憶と想いを知った上で復讐を望んでいる。

・最近の和樹くんのインタビューから、自分が託した夢(=研究)をやめてしまったビクターをアンリは許せないのでは?という考えに思い至り、怪物は自身の復讐心に加えてそんなアンリの思いも汲み取って二重の復讐をしているのでは?という説が私の中で膨らんでいる…それが怪物の中に残っているアンリの意思なのか、アンリの亡くなる瞬間の研究への想いを知っている怪物が推測しているのかはわからないけども。もともとビクターとの研究に対して命をかけられるほどの想いを持っていたわけだし、あの清々しいまでの熱量は翻って裏切りに対する復讐に転じる可能性はあるよなぁと…

・ビクターとアンリ、実はとんでもなく想いがすれ違っているのでは説が浮上…。すれ違ってるから、アンリはビクターを置いて逝ってしまうし、ビクターは一度の失敗で命までかけて託されたアンリの遺志(研究を続けること)をやめてしまう。これはしんどい…

・ウエリントン将軍を調べていたら、フランス革命にも参戦してたという一文を見つけてびっくりしてる。そうか、同時代… あの時代、ロナンとアンリと、さらにNO9のニコラウスくん?も同時に存在してたことになるのね。もっと言えば、アンリがビクターに出会った時点で26歳だとしたら、生まれ年は1789…。 同時代といえば、ラドゥー大佐とアルマンとアンドリュースさんも同時代だし、ロートとジョンと明智さんも同時代。明智さんは地域離れすぎてるけどw