Peaceful Tree

主に加藤和樹さんを中心とした観劇やライブ参戦の記録やまとめ。考察や妄想もあるのでご注意ください。

アンリの過去(推測)

「僕には親がいない」の意味

◆物心ついた時には孤児だった◆

「親がいない」いろんなパターンを考えたけど、あの歌詞とアンリの様子を見ている限り、物心ついた時には既に親はおらず施設にいて、おそらく引き取られた先のお家でも厳しく育てられて、暖かい親(というか家族)の記憶は持ってないのが一番しっくりくるかなと。

ただ、アンリがあの若さで論文を発表し人体接合についてビクターも知っているほどの実力を持つ立場になっていること、スレた雰囲気がなかったり上官に対する態度や敬礼の時のザ・軍人な様子からしても、多感な時期を施設で過ごしたというよりは、早いうちからきちんとしたレベルの高い教育と上流階級(もしくは軍のそれなりに昇進していけるコース)の常識を叩き込まれてる印象。施設にいたとしたら、本当に幼少期の話かなと。

もしくは、なんらかの理由で親が亡くなり、物心つく頃には遠縁のお家に引き取られていたとか、施設からかなり早くに全寮制の学校にはいったっていうのもあり得るかなぁ。

いずれのパターンだとしても、自分から全寮制の学校を希望し、優秀な成績を修めて軍に入隊→死体再利用の研究を始める→軍医という流れな気がする。わりとエリートコース。アンリがどの時点で死体再利用に興味を持ったのか、そのきっかけは何だったのか気になるなぁ。(和樹メモプリーズ)

酒場の様子を見てても、それなりにコミュニケーションを取って、ハメを外して楽しいと思える時代を過ごしたことはあるようなので、全寮制の学校時代は、クラスメイトと騒いだりもして、優秀で少し変わってるけど爽やかでいい奴くらいの周りの評価はあった気がする。でも、愛を知らずに育っているが故に、少し深く付き合うと「こいつ何かおかしい」とわかったのではないかしら。そしてアンリ自身がクラスメイトをどう見ていたかは…(闇)

愛を知らずに育ったから、ビクターに対してもあんな極端すぎる愛の表現しかできなかったのかなぁなんて思ったりもする…

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「親がいない」の他のパターン

再演を観ていて、「親は亡くなってる」が正解なんだと思ってるけれど、初演を見たときには「親は健在(少なくとも物心つく頃は)だったけど、アンリ自身がいないものとしてる」と感じていたので、一応記録。

A.物理的に親がいない (愛された記憶はあるが失われてしまった)

B.心の拠り所としての親がいない (親の記憶はあるけど愛された記憶はない)

a.親に拒否されたが故に、自分から親を捨てた

b.アンリ自身が親を嫌い、親と家を捨てた

私は初めBbのパターンだと思ってたんだけど、前後の雰囲気からしても今は初めから親がいなかったパターンなのかなと思ってる。

これ、どちらかでずいぶん印象変わってくるなぁ。和樹メモプリーズ。(2回目)