怪人と探偵の対比のようにみえる「真実の鏡」だけど、ミュコンで聴いたときから、ちょっと違和感を感じてて。 それがね、ラストシーンの明智さんが明智さん本人だという前提で「真実の鏡」を読むと、これ、全て明智さんのことなんじゃないと思えてきて、なるほど!と腹に落ちちゃった。
「委ねた正義に 執着するものと
与えた欲望に 従順な者と
神はどちらを褒め称えるのだろう?」
→この「委ねた」と「与えた」の主語を神とすると、正義を委ねられたのは明智さんとしても、怪人は「与えられた」なんて思ってないはずだから、変だなと思ったの。 どちらも明智さんとして、正義に執着する自分と、「ケイコを愛する」という欲望に従順な自分と、神はどちらを褒め称えるのか…と考えたら、なんかしっくり来ちゃった。
「痛みに汚れた 剥き出しの真実と
社会に作られた美しい嘘と
人はどちらを真実と呼ぶのだろう?」
→こっちの対比もね、「痛みに汚れた 剥き出しの事実」って怪人らしくないなぁって。怪人はもっと快楽主義で華やかなイメージ。明智さんから観た怪人のイメージなのかもだけど、「痛みに汚れた」って表現はしない気がするし。 ケイコにまつわる事実に対して痛みを感じているのは明智さんだし、その事実を封じて「社会に作られた美しい嘘」としての自分をも自覚しているだろうし。そのどちらが真実なのか、真実であるべきなのか…という明智さんの問い。
2回とも、〜だろう?と問いかけてはいるけど、ラストの「合わせて人の 真実の形になる 正義も悪も 溶け落ちて」という歌詞を考えると、明智さんの中では答えはもう出ていて、半ば自嘲気味に鏡の中の自分に答えているのかなぁと。
そして今気づいたけど、このラストだけ、正義と「悪」という表現をしてる。明智さんは怪人のことを「ライバル」と考えてるし、怪人の所業は「正義」に対する「悪」とは思ってるだろうけど、怪人自身を「悪」とは思ってない気がするので、やはりこれは明智さん自身の中の「悪」のことなのかなあと…
この曲自体、ラストシーン後に明智さんがひとり鏡を見ているモノローグのような気さえしてくる…というわけで、ラストに歌ってください。泣くから。(無理難題)