Peaceful Tree

主に加藤和樹さんを中心とした観劇やライブ参戦の記録やまとめ。考察や妄想もあるのでご注意ください。

「怪人と探偵」ラストシーン解釈(確定)

〜ラストの明智さんが、怪人のなりすましではなく、明智さん本人だった場合〜 

多分に推測(というか創作)含むけど、最後の高笑いまで自分の中で筋が通ったので、スッキリ。初見のときは「ラストの明智さんは怪人」と思えて悲しくて悲しくてかなり凹んだ(笑)んだけど、その後いろいろ考え、フォロワーさんとも議論し、今時点で私はこちらの説で確定。 


「真実の鏡」の中に出てくる「すべての影は 光が生み出すのだと 知ってしまった あの日から」というフレーズ。この「あの日」が、ケイコの両親を死に追いやったことを指すとするなら、あの事件を経て、愛したケイコに真実を知られて去られて、それでもなお明智さんは正義を「光」と捉えていることになるから、それがちょっと違和感だったの。それほどまでに明智さんの中で「正義である」「正しい」ことが重要なのかと。それはある意味行きすぎて歪んでいるようにも思えるなって。 


その明智さんが、鬼面城でケイコに本音を言うシーンで、「ただの男としてケイコを守る」みたいな発言をする。自身のアイディンティティでもあったであろう「正義」を取っ払ってでもケイコを守りたい、怪人には渡したくないと、この時点で明智さんは自分の気持ちを認めて偽らずに進むことを決めているんだなと。(このシーンの明智さんとしての登場の仕方とか、抱きしめ方とか、ケイコが連れていかれた後に松吉の変装を脱いで帽子を床に叩きつけるの大好き) 

そしてその後の、怪人とのなりふり構わない戦い。あの殴り合い蹴り合いの様子に、「この人はケイコを守るためなら、"社会と自分が作り上げてきた明智という人物"を捨てることもするだろうし、なんだってするんだろうな」とぼんやり思ったの。 

そして明智さんは、あの炎の中で怪人を殺した。 

それは、確実に息の根を止めたのかもしれないし、殴り合いの中、よろめいた怪人が崖から落ちた…みたいなことかもしれない。いずれにしても、明智さんはその時はっきりとした殺意を持って、怪人と対峙していた。怪人はいつも行方をくらますから、いなくなっても現れなくなっても、誰も不思議には思わない。誰も、明智さんが怪人を殺したことは知らない。 

そう、明智さん本人以外は。 

(ラストシーンで、ケイコには真実を語ったのね、と思われる描写あり) 


正義を掲げる探偵が、自分の意志で、人知れず人を殺めた。 

明智さんがラストに言う、「世界で一番綺麗な宝石を守る為に、新たなマスクを持った(ニュアンス)」というセリフ。 

あの鬼面城での戦いの日を境に、明智さんはその身の中にはっきりと「悪」を住まわせた。そして歪んで捻れている自身を自覚しつつ、社会が認めた明智としての「仮面」を被り正義を掲げ続ける。 それは、ケイコを守り続けるため。 明智さんにとっては、ケイコこそが、世界で一番綺麗な宝石だったのだなと。彼女を傷つけるものからは、どんな手を使っても守り抜く。彼女をあらゆるものから守る、全てはそのために。 

刺し違えてもケイコを守るというセリフがあったけど、実際は明智さんは絶対に死なない。それではケイコを守れないから。 何があっても、どんな手を使っても、絶対に生き延びるよ、この明智さんは。 


そして、自分の中の「悪」を認めた明智さんの頭の中に、長年ライバルとして戦ってきた怪人の笑い声が響く。

「それ見たことか。やはり正義なんてまやかしなんだよ」と。 


その笑い声に同調し、高笑いをする明智さん。 

「わかってるさ、二十面相。君が正しい。だが僕はそれをわかった上で「正義」を掲げ続けるよ。なぜなら、それが僕には必要なことだからね。」 

そうして、明智さんは仮面をつける。/Fin。 


ラストあたり、かなり妄想というか創作が入ってるけれど(笑)、いまの私はこのラストシーンで決まりかな。兵庫で観たらまた変わるのかしら… 

 

あとね、前にも書いたけど、このラストシーン前提で、「真実の鏡」を読むと、 


「委ねた正義に 執着するものと 

与えた欲望に 従順な者と 

神はどちらを褒め称えるのだろう?」 


「痛みに汚れた 剥き出しの真実と 

社会に作られた美しい嘘と 

人はどちらを真実と呼ぶのだろう?」 


これ、全て明智さん本人を指しているんだろうなと思えてくるよね。 


この歌、作品中では物語が動き出す前に歌われるけど、歌詞を見てるとラストシーン後に明智さんがひとり鏡を見ているモノローグのような気さえしてくる。でも、作品中で歌った時のような苦悩な感じではなくて、最後のフレーズはニヤリと笑っていそうな。 


ああ、この考察(ほとんど妄想)、ホント楽しい(*´艸`)←